自己紹介と経歴を兼ねて私のワークヒストリーを簡単にご紹介いたします。
● 1985
この年の夏、現代美術やその業界に強い興味があったので、持ち金はたいて銀座の貸し画廊で個展を行うことにしました。銀座1丁目にあったルナミ画廊というところです。作品はキャンバスに絵を描くということから離れて、水に着彩する作品作りを試みました。それがこちらです。
写真上:案内状で使用した写真
写真下:パフォーマンスを兼ねたインスタレーション作品《水の彩色》1985。
この後単身渡米。アメリカの東海岸マサチューセッツ州ボストン郊外のビバリーという街にあるMonserrat School of Visual Arts(現在:Monserrat College of Art)に入学しました。
Monserrat College of Art
● 1986~
Monserrat(モンサラット)に入学して、しばらくしてからまた作品を発表する機会に恵まれました。蛍光色で塗られた紙を床に敷き、burchと呼ばれる樺の木をその上に設置。そこにblacklight(紫外線灯)のみで照らした空間を作り出しました。これもインスタレーション作品です。
写真下:インスタレーション作品《光の彩色》1986
写真上左:当時の私
写真上右:《光の彩色》の中のパフォーマンス1986
写真下:地方紙「Beverly Times」1986.4.22
この作品は結構評判となり地元の新聞でも取り上げられました。
● 1988~
2年で留学資金がほぼ底を着いたので一旦帰国して1年間お金を稼ぎ、再びボストンに戻って郊外から市内にあるSchool of the Museum of Fine Atrs, Boston(SMFA:ボストン美術館付属大学)の3年に編入しました。
School of the Museum of Fine Atrs, Boston
SMFA時代はあまり作品の発表はしていませんでしたが、そんな中でも《standing painting》は好きな作品の一つです。これは等身大の木枠に表と裏の両面にキャンバスを貼り、人物の前面と背後を描きました。それを立たせ、両側から見る作品にしたものです。4点制作しました。
写真上:《standing painting》1989(左:表面、右:裏面)
写真下:《standing painting》インスタレーション 1989(私も中にいます)
大学4年の時、奨学金が取れて生活がらくにはなったものの、週に2,3日程度はアルバイトする必要がありました。不動産会社が発行する編集の仕事で初めてMacに触れ、その後大学卒業後にケンブリッジの翻訳会社に就職して本格的にDTPを学びました。
ビザの関係で帰国しなくてはいけない時に運良く永住権(グリーンカード)を抽選で取得。ならばと、Mac1台購入してパートナーと出版事業を立ち上げ、これが思った以上に収入となり、結局14年間ボストンに滞在することになりました。
● 1991~
90年代はボストンでパートナーと創業した出版ビジネス時代です。
会社名は元気出版。創刊した「Boston Note」はボストン在留邦人に向けたフリーペーパーで、隔週発行の生活情報誌でした。初回は100部程度の印刷だったものが、半年ぐらいで1,000部を超え、それに伴って広告も次第に集まってきました。
パートナーは優秀な経営センスの持ち主で、私は主に制作を担当し、当時のDTPソフトAdobeのPageMaker、Photoshop、Illustrator等を使って、ひたすらパソコン操作に明け暮れ、休日返上で働きまくりました。
A4サイズだった「Boston Note」はタブロイド判(B4判程度の大きさ)になり、配布地域もボストン市内からマサチューセッツ州広域、ニューハンプシャー州、バーモント州、メイン州、ロードアイランド州(これらを総称してニューイングランド地方と言います)と拡大して、発行部数を5千部ぐらいまで伸ばしました。誌名も「Boston Note」から「NewEngland Note」とに変更。
写真上:「J magazine」1994.5月号
ちょうどこれは村上春樹さんのインタビューを掲載した号です。村上さんはしばらくボストンに住んでいてボストンマラソンにも参加されていたようでした。村上さんに限らずボストンを訪れた多くの著名人にインタビューできたのも役得でした。
写真上段:「J magazine」1995.5月号
写真中段:「J magazine」1996.3月号
写真下段:左から「ab CHINTAI」創刊号*制作受注, 「Jmagazine」1999.6月号, 2月号, 当時の私
発行する雑誌一つ一つ特集を組んで全力投球でやれたのも、素晴らしいスタッフに恵まれ、また自分も若く無茶ができたことでした。しかし、ニューヨーク進出はすでに出来上がっているコミュニティがあって、ボストンを拠点にしていては歯が立たず、またニューヨークでビジネス展開できるほど資金があるわけではなかったので、あえなく撤退・・。あとは市場に合わせてビジネスを効率化していくだけになりました。
タブロイドに近い大判サイズからレターサイズに変更。
2000年になる頃にはパートナーも会社を去り、その後私も会社を売却して日本に帰国。
その年の暮れに財団法人に就職して翌年結婚。子どもにも恵まれ仕事と子育てに奮闘することになりました。
● 2001~
雑誌編集の仕事は団体職員となった後も長く続きましたが、10年も経つと制作する現場から遠ざかり、出版から営業そして最終的にはネット事業に関わる部署で管理職としての仕事。そして定年を機に2022年退職することに決めました。
創作活動は時間の合間で少しずつ続けていました。
10年ぐらい前に描いた油絵作品《chocolate》。自分の部屋を子どもに譲って以来、作品は自宅の階段などに飾っています。
写真上:油絵《chocolate》1912
うちの家族は皆チョコレートが大好き。味覚と視覚で楽しんでいます。
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マット・アカイシ 1962年群馬県前橋市生まれ。幼少期は東京文京区本郷、その後埼玉県杉戸町で育つ。地元で小中高を卒業。アートの道を志し東京で一人暮らし。1985年渡米。著書「東京観光note千代田区①」(電子書籍)
【作品について】食品は刺激的なモチーフで力を入れて描いています。食品だけではなく興味のある対象はいろいろ描いてみたい。私の表現は感情を抑えたハイパーリアリズムですが、手仕事も十分感じてもらえます。小さじ2分の1ぐらいの感覚で。あとは作品と関わる人が感情移入しやすいような・・刺激のあるアイコンを生活の中に取り込んでもらえたら嬉しいなって思います。